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東京高等裁判所 平成7年(う)1228号 判決 1995年12月04日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四年六月に処する。

原審における未決勾留日数中一七〇日を右刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人北村行夫作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

一  控訴趣意中、法令適用の誤りの主張について

諭旨は要するに、被告人に対しては、本件について平成七年法律第九一号による改正前の刑法四二条一項(以下、たんに刑法という。)の自首の成立が認められるのに、原判決は自首減軽を行っていないのであるから、原判決には自首に関する法令の解釈を誤った結果、法令適用の誤りを犯したものであって、この誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ検討すると、原判決は(量刑の理由)の項で、「法律上の自首には該当しないものの、犯行後自ら派出所に出頭したりしていること」と判示し、本件においては、被告人に対して刑法四二条一項の自首の成立を否定していることが明らかである。そこで、同法上の自首の成否について検討する。

まず、<証拠・略>によれば、被告人は、本件犯行直後(犯行時間は、午前六時三五分ころである。)に原判示犯行現場である「みどり」を出て、乗ってきた自動車を発進させて間もなく我に返り、申し訳ないことをしたと思い、自首すべく犯行現場と同じ小川町にある小川地区交番に赴き、午前六時四五分ころ、同所表出入口に設置されたインターホンを押したこと、しかし、警察官が不在であったため、さらに警察へ電話で通報しようと思い、同じ町内の小川町文化センターに赴き、同所に設置されていた公衆電話から一一〇番通報をして、「今人を刺したんですが、文化会館前の公衆ボックスにいます。名前は甲野一男です。その前に小川の派出所に行ったんですが誰もいないので、文化会館前の電話ボックスにきたのです。」と言って警察官に自己の名前と自己の犯した犯罪行為を申告したこと、そして、右一一〇番通報が受理された時間は、本件当日の午前六時五五分であったこと、一方、被告人の妻も、犯行後間もなく警察に一一〇番通報をして「甲野一男が乙川二郎を包丁で刺した」旨申告しているところ、右の受理時間は同日午前六時五三分であったこと、そのころ茨城県警察本部通信指令室と石岡警察署からの無線指令を傍受した警ら中の同署警察官は、直ちに本件現場へ急行したが、その途中、さらに右通信指令室から前記被告人の通報内容の無線を傍受したため、午前七時五分ころ、被告人がいるという前記小川町文化センターへ赴いて、被告人に職務質問をしたところ、被告人が住所と氏名を答え、また、犯行を認めたため、さらに任意同行を求め、同行先の右警察署において午前八時五分に緊急逮捕するに至ったこと等の事実が認められる。

以上の事実によれば、被告人が現実に自己の犯罪事実を警察官に申告した時点においては、すでに被告人の妻からの一一〇番通報が茨城県警察本部通信司令室で受理されており、すでに捜査機関に被告人の犯罪事実が発覚しているものといわざるを得ないのであるから、右の時点を基準とする限り、被告人の右の通報をもって、刑法上の自首と認める余地はないとも考えられ、原判決もこの点を根拠に自首の成立を否定したものと推測される。

しかし、自首に関する刑法四二条一項の規定は、第一義的には、犯人が捜査機関に対して自主的、積極的に自己の犯罪事実を申告した場合には、刑の任意的減軽の恩典を付与することによって、犯罪の捜査及び犯人の処罰を容易にするという政策的考慮から設けられたものであり、犯人の行為が自首に当たるかどうかは、右規定の趣旨から実質的かつ全体的に、時間的にもある程度幅をもって解釈されるべきであり、単なる時間的先後関係だけに拘泥することは同項の妥当な解釈とはいい難い(なお、改正刑法草案四九条一項参照)。このような観点からみると、犯人がいまだ捜査機関に自己の犯罪事実が発覚する前に、自ら自己の犯罪事実を申告して身柄の処分をゆだねる意図で捜査機関に出頭しておれば、捜査員不在等の事由により犯人が右の申告をすることができず、その間に犯人の申告以外の理由により、その犯人の犯罪事実が発覚したとしても、その接着する時間内に、犯人において自ら自己の犯罪事実を捜査機関に申告して身柄の処分をゆだねたと認められる関係にあれば、これらの事情を全体として考察し、「いまだ官に発覚せざる前」に自首したものとして、刑法四二条一項の自首の成立を肯認することができるというべきである。

これを本件についてみると、前記認定のとおり、被告人は、本件犯行直後、自首を決意し、そのまま警察官派出所に赴き、同所表出入口に設置されたインターホンを押していること、その時間が犯行の約一〇分後であり、被告人の妻が一一〇番通報する約八分も前であって、同所に警察官が駐在しておれば、その時点で自己の犯罪事実を申告して確実に自首が成立したであろうことは明白であること、また、右派出所には、不在派出所用緊急通報装置が設置され、右インターホンにより、石岡警察署通信室との通話が可能であり、右被告人が右のインターホンを押した時点で、右の装置が作動して、右通信室の呼出し音が鳴り、同署警察官が応答したものの、被告人がそのことに気付かなかったため、被告人はやむなく同じ町内の文化センター前の電話ボックスまで移動し、そこから一一〇番通報して自己の氏名と犯罪事実を申告したうえ、そのまま同所にとどまり、さらに駆け付けた警察官の質問に対し自己の氏名、犯罪事実等を話して任意同行に素直に応じ、任意同行先の前記警察署において緊急逮捕されるに至ったものであること等の事情が認められるのであって、これらを総合考慮すれば、被告人の右の行為は全体としてみて、「いまだ官に発覚せざる前」に自首したものと評価することができるというべきである。なるほど、原判決が自首の成立を否定した理由と考えられる申告時間の時間的先後関係を形式的にみれば、被告人が右文化センターの電話機から一一〇番通報した時点では、すでに被告人の妻からの一一〇番通報が警察に受理されているけれども、被告人の右通報は妻の通報のわずか二分後であって、このようなわずかの時間的先後を決定的な根拠として刑法上の自首を否定することは、前記のような事情に照らせば余りにも形式的な解釈であって妥当であるとはいえない。また、右のような実質的、全体的な考察から自首の成否を判断することに対しては、その基準が不明確になるとの批判もあり得るが、前記のとおりの立法趣旨に即して、具体的、実質的判断を加えることは法解釈のありかたとしてはむしろ当然であって、なんら問題があるとは思われないばかりか、前記のとおり、捜査機関の所属する官署への出頭を基準にして、その後の犯人の対応を併せ考慮して自首の成否を決するのであるから、その基準が不明確に過ぎるなどとはいえないのであって、右の批判は当たらないというべきである。

以上のとおり、被告人には、本件について刑法四二条一項の自首が認められるので、これを認めなかった原判決は、自首に関する同条の解釈を誤った結果、法令適用の誤りを犯したものというべきである。しかし、同法上の自首は、もともと刑の裁量的減軽事由にすぎないものであるところ、原判決は、その(量刑の理由)の項において、量刑上被告人に有利な情状として斟酌していることが明らかであり、殺人罪の法定刑や本件の態様及び自首の経緯等にかんがみると、本件について自首減軽を施すことが相当であったとまでは認められないから、右の誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいいえない。論旨は理由がない。

二  控訴趣意中、事実誤認の主張について<略>

三  控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は要するに、原判決の量刑が被告人に対する刑の執行を猶予しなかった点で、重過ぎて不当である、というのである。

所論にかんがみ、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討すると、本件は、原判示のとおり、被告人が妻と被害者の不倫の現場を押さえたことから、憤激の余り、現場付近にあった文化包丁で被害者の左側胸部を突き刺して、胸部大動脈切断により失血死させたという事案であるところ、犯行の動機をみると、妻と被害者との不倫を疑っていた被告人において、二人が肉体関係を持っていた現場に踏み込み、そのあられもない姿態をみて、激昂した末の犯行であり、その動機には後記のとおり同情すべき余地があるとはいえ、被告人のこのような行為はもとより正当化されるものではなく、しかも、被告人は、被害者が妻との浮気相手であると疑っており、被告人も面識のある被害者に対して、事前に妻との文際をやめるように求めるなど問題解決の方法がまったくなかったわけではないのに、このような方途をとることなく、一人思い悩んだあげく、浮気の現場を押さえることだけに意を用い、いきなり殺害に及んだというもので、被告人の行為は短絡的過ぎるとの非難は免れない。また、犯行態様は、立ち上がった被害者の身体の前面めがけて、確定的殺意を持って所携の文化包丁で力一杯突き刺すという極めて残忍かつ悪質なものであり、その結果、殺害された被害者の無念はいうにおよばず、残された遺族の悲嘆にも察するに余りあるものがあるというべきであり、被告人は、被害者の遺族に対する慰謝の措置を講じておらず、遺族も被告人に対しては法による厳格な処罰を望んでいる。以上のような事情に徴すれば、被告人の刑責には重いものがあるといわなければならない。

しかし、他方、被告人には以下に述べるような有利な事情も数多く認められる。すなわち、まず、本件犯行の原因をみると、前記のとおり、被告人と面識もあり、夫があることを知りながら被告人の妻と肉体関係を持ち続けていた被害者にその原因があるのであって、被告人がその現場を目の当たりにして激昂したこと自体はまことに無理からぬところであり、被害者の落度には重大なものがあるといわざるを得ない。被告人は、内向的でおとなしく、口下手であるため、妻の不倫を疑い、この点を妻に質したことがあったものの、これを否定されてこれ以上の追及ができず、また、被害者とは面識があるものの、同人は自己より弁が立ち、体力的にも自分が劣ると考えていたのであるから、被害者に妻との不倫の真偽を問い質しても、これを一蹴されると考えていたのも無理からぬところがあり、被告人の性格や当時の状況等からみて、被告人が事前に解決のための話合を持たなかった点を量刑に当たって過大に評価することは妥当ではない。また、被告人は、本件当時、妻との婚姻関係を継続してゆきたいとの思いを抱いていて、被告人において本件犯行の時点で夫婦関係が破綻しているとは考えておらず、何とか妻の不倫を止めさせたいと思っていたのであって、被告人が犯行現場に赴いたのも、妻の不倫相手である被害者に報復を加えるためではなく、問題の解決のためには、不倫の現場を押さえるほかに取り得る手段はないと考えたからであり、ただ、現場の状況から被害者と妻が奥の部屋で肉体関係を持っていると確信した被告人が憤激した末、厨房にあった包丁を手にして犯行現場に赴き、被害者と妻が肉体関係を持っていた現場を目の当たりにしてとっさに殺意を抱いて殺害するに至ったものであって、本件は激情に駆られての偶発的な犯行であり、計画性は認められないのである。原判決は、その(量刑の理由)において、「被害者と平和的解決の道を求めることも十分可能だったのであって、そうした努力をすることなく、いきなり本件犯行に及んだ被告人の行動(には)、責められるべき面はなお大きいものといわざるを得ない」と判示しているのであるが、被告人は当初から被害者を殺害すべく、犯行現場に赴いたものではなく、前説示のような経緯からとっさに殺害するに至ったものであって、右のような経緯、動機からみて、原判決の右の説示は、被告人に酷に過ぎるとの批判は免れない。そして、被告人は、本件犯行後間もなく我に返って自己の犯行を悔い、自首を決意して交番に赴き、さらに一一〇番通報して自己の犯行を申告して警察官に身柄の処分をゆだねるなどして自首していること、捜査段階及び原審公判廷を通じて事実関係を素直に認め、自己の行為を真摯に反省していると認められること、被告人には前科がなく、仕事も二三年余り勤続してきたものであり、その私生活の面においても夫として、父親として真面目な生活を送ってきたものであること、本件により、長らく勤めた勤務先を懲戒解雇になったこと等の事情も認められる。そして、以上のような事情を総合考慮すれば、本件が被告人に対する刑の執行猶予を考慮すべき余地はないといわなければならないものの、被告人を懲役六年に処した原判決の量刑は、その刑期の点で重過ぎるというべきである。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により当裁判所において更に判決する。

原判決が認定した罪となるべき事実に、平成七年法律第九一号(刑法の一部を改正する法律)附則二条一項本文により同法による改正前の刑法一九九条を適用して所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で、被告人を懲役四年六月に処し、右改正前の刑法二一条を適用して、原審における未決勾留日数中一七〇日を右刑に算入し、当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小泉祐康 裁判官 松尾昭一 裁判官 西田眞基)

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